2024年6月18日
まずは必死に目の前のお客様の依頼に応えよう、とスイッチが入った瞬間
この5月で、エグゼクティブサーチコンサルタントとして23年目、今の会社で14年目に入る。そして先日、Linkedinで『2030年までは少なくともこの仕事を続けようと思います』と公にした。
日々多くの方と面談させていただいている。それは、依頼をいただく企業の方であったり、転職を希望される候補者の方であったり。また、リテーナーサーチファーム1育ちということもあり、まだ転職を検討されていないような方とも。
「そのモチベーションはどこに?」と先日、後輩に聞かれた。咄嗟に、「日々、いろいろな人に会え、いろいろな話を伺えることが楽しみであり、モチベーションだ」と伝えた。
今回のコラムでは、一つひとつの面談自体が自分にとってどんな意味があるのかを、私がこの仕事を継続する原点でもあり、大切にしている言葉とともに紹介したい。
2001年5月、前々職の日系リテーナーサーチファーム(以下、前々職)に誘われて、外資系保険会社からこの業界に入った。仕事を始めて数ヶ月後に、新卒入社の野村證券時代の元上司のところへ挨拶に伺った。どんな仕事だと聞かれ、未経験に近いこの仕事を、拙いながら必死に説明した。一通りの説明の後、その大先輩から次のような言葉をいただいた。
「良い仕事を選んだな。力ある人が、その力を発揮する場を与えられれば、その会社や事業は強く、大きくなる。そしてそこには新たな雇用と税収が生まれる。つまりは国の為になる仕事だと俺は理解した。頑張れよ。そして良い仕事をしろよ。沢山な」
その会社に入り、「競合と言われる外資系大手エグゼクティブサーチファームのコンサルタントのように、MBAも無ければ、海外勤務経験も無い自分を何故この世界に誘ったのだろう?」と思い始めていた自分の浅はかさに気付き、吹っ切れて、まずは必死に目の前のお客様の依頼に応えよう、目の前の候補者の方を理解しようとスイッチが入った瞬間だった。
そんな大層な、と思う人もいるかもしれないが、自分自身の仕事に大義名分があると背筋は伸びるし、もう逃げられなくなる。
そしてもう一つ。ほぼ同じタイミングで、前々職の先輩からは焼き鳥をご馳走になりながら、「キャンディデートユニバース2が無いことを気にしていても仕方ない。この仕事は自分で仕事を選べるし、会いたい人には会いに行けるから、自分には無理だなと思う領域の仕事はそれが得意なメンバーに任せ、この会社、この経営者の役に立ちたいと思う依頼を受け、こんな人とだったら自分も一緒に仕事がしたい、この人だったらお客さんの期待に応えてくれるはずだと思う人を必死に探して紹介すればいいんだよ。シンプルに考えた方が楽だし、上手くいくんじゃないかな」と言われ、肩の力が抜けたことも思い出す。
その前々職の社長からは、「月間100アポ、年間1200アポを3年続ければ名刺が2000枚は貯まる。そうすればもうこの世界のどこでも食べていける」とも言っていただいた。
証券と保険の、それも営業の世界しか知らない自分にとっては、一つひとつのアポイントが本当に勉強になり、学びの多い時間であったが故に、全ての面談のメモを残すことを心がけた。そう全ての面談のメモを。
そんな2001年のスタート時のことを今でも鮮明に思い出す。
メモの習慣は、外資系大手サーチファームを経てリテーナーサービス立ち上げのために、現職であるリクルートエグゼクティブエージェントに移って以降、今も続けている。今の年齢で月間100件のアポイントは無理だけれど。
「想いを紡ぐ」として月1回(予定)のコラムを弊社ホームページでスタートとします。LinkedInにも掲載予定です。
ここで綴られる「想い」は、私が残している面談のメモ、多い時には一つのアポイントで数千字にもなることもあるメモを元に、会社名や個人名が特定できないように修正して、少し加筆した内容となります。従って、それは経営者の「想い」であったり、ビジネスパーソンの「想い」であったり、そしてそれを受けての私の「想い」であったりするわけですが、初回だけ、私のこの仕事への「想い」を少しだけ綴ってみました。
以上、まずは初回の挨拶代わりのコラムでした。
1転職意思の有無にかかわらず、要件に最も見合う人材を、自社データベースだけではなく独自のネットワークで探し出し紹介するサービスを提供する人材紹介会社。
2コンサルタント個人の経歴などのバックグラウンドに基づいて形成される潜在的な候補者母集団の意味として、会話当時、使用されていた表現。